戦後間もない時代に子ども達がどんぐりを集めて買った「どんぐりピアノ」。その歴史に感動したピアニスト・浅沼美和子さんが中心となり開催したチャリティーコンサートの様子とともにご紹介した記事です。
※この記事は「みやしろで暮らそっ」のバックナンバーから反響の大きかったものをリライトしたものです。
(2017年1月・6月記事より。写真は2018年時点のものも含みます)
宮代町立須賀小学校にあるこのピアノ。
昭和24年の戦後間もない時代に「ピアノの音が聞きたい!ピアノで音楽の授業をしたい!」という子ども達が夢を叶えるために、当時は売ることのできた“どんぐり”や“イナゴ”を集めたり、育てたヒマ(トウダイグサ科トウゴマ属の多年草)から油をとり、それを売って資金を貯め力を合わせて購入したことから「どんぐりピアノ」と名付けられた、想いの詰まったピアノです。
今は閲覧室に展示されていて使われていないのですが、小学校で行われる音楽鑑賞会の奏者として小学校を訪れたピアニストの浅沼美和子さんがこのピアノの存在を知り、その歴史にとても感動され、ぜひ昔のピアノの音色を今の子供たちに聞かせてあげたいと「どんぐりピアノ再生」のためのチャリティコンサートを開きました。
進修館では、どんぐりピアノの修理・維持の為に2015年から「どんぐりピアノ再生プロジェクト」という活動が始まり、チャリティーコンサートの収益金の一部はこのプロジェクトに寄付されたそう。
どんぐりピアノのことをもっと知りたい!と思い、当時どんぐりを拾ったという関根さんにお話を聞きに行ってきました。
和戸在住 関根さん(当時小学3年生)
「手ぬぐいを縫った袋に竹を差して紐でゆわえて、捕まえたイナゴは竹から袋に入れたよ」
今でいうチャック付き袋状態でしょうか。逃げ出さないように竹の口を指で押さえて、次々イナゴを捕まえたそうです。昔は農薬を使っていなかったので、朝早くに田んぼへ行くと、たくさんのイナゴが稲にしがみついていて、気付かれないようにそっと近づき、イナゴが飛び上がる瞬間を素早くキャッチ!
また、校庭ではヒマを育て種から油を搾ったとか。でも種が悪くてうまくいかなかったことも…。そんな頑張る子供たちの姿に大人たちも次第に心を動かされて、どんぐりひろいに協力。最終的には足りない資金を補ってくれて購入することができたそうです。
他にも昔のお話を沢山聞かせてくださいました。
当時は「食べ物がなくて大変な時代だった」とのこと。畑をなるべく休ませないように、麦の収穫が近づくと同じ畑に「陸稲(おかぼ)」という品種のお米を植えたそうですが、あまり美味しくなかったそうです。
道は舗装されておらず、砂利も敷いていない「土」の道。だから学校へは“はだし”で通い、学校に着くと「足洗い場」があって、そこでどろんこになった足を洗い教室へ。休み時間にはお母さんが縫ってくれた雑巾で廊下を拭き掃除したそうです。
また養蚕農家がたくさんあり桑の木もいたるところに植えられていたので、桑の実(どどめ)を食べながら帰るのが下校の楽しみだったそうですよ。
どんぐりピアノの歴史は、卒業生の中には全く存在を知らないという人もいます。道徳教材として平成23年に冊子ができているのでご存じない方は是非読んでみてくださいね。
ところで2017年に作られた“新みやしろ郷土かるた”に、どんぐりピアノが札として入りました!憧れと夢がつまったどんぐりピアノ
このお知らせを聞いて、当時のことを思い出し涙された方もいたそうです。
歴史あるこのどんぐりピアノを、町の宝物として、みんなで大事にしていきたいですね。
現在は進修館の受付に募金箱が設置してあるそうです。
もう一度音色が聞けるといいですね。